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小言を少し・・
(過去の歴史を)背負っている苦しさや辛さも理解できるが何も背負ってないというか背負うことも出来ない時代の苦しさだってあるのではないだろうか?ましてや世代間、年齢などで区別する意識は最小に留めておき、いつの時代でもモノを作っていく作家達は少なからず何かを背負うから制作が出来るのではないか?そのような事からの共通認識があれば、世代や年齢関係なく現在においての可能性を話し合えるフラットな場所が立ち現れると思うのは私だけだろうか・・。制作していないものが「(歴史を)背負ってしまっている」という言葉を安易に使用してはいけない